綸子とは?
赤字の部分は織物編1から8の中で 簡単に説明されています。
綸子とかいて「しゅす」あるいは「りんず」とよみます。明確な使い分けはないように思います。
三原組織
の時は
平織、斜文織、朱子織
と表現する時が多いです。綸子織りと書くと「しゅすおり」と読みます。着物の織物になると「りんず」と読む場合が多いです。
地組織は
五枚
または
七枚経朱子織
で、文様は裏組織であらわす。平織や斜文織よりも浮き糸が多いので光沢のある生地になる。つまり 表と裏で反対の浮き目になっている織物
本綸子:
精練
した絹糸を用いて織った綸子織物のこと
後練り綸子 生綸子: 絹糸を白生地に織ってから
精練
した綸子織物
平綸子: 普通は朱子織だが
破れ斜文織
を用いて織った綸子織物のこと

斜文線が右上がりと左上がりの斜文線からなる。糸数の半分のところで、経糸または緯糸の順序をかえて斜文線をあらわす。図は経て半分で逆にならべた場合。
上の図でできた破れ斜文織を並べたものです。赤い枠が
完全組織
になります。

駒綸子:
駒撚り糸
を使っておった綸子織物のこと
紗綾形は綸子生地の代表です。この模様は雷文、卍くずしとよばれるものです。表と裏両方を掲載しますので、文様が表と裏で反対の浮き目になっているのがわかると思います。
植物の柄です。流水のような柄もあります。振袖にこの植物の柄が織られている綸子が多い。
こちらもよくあります。光沢のある生地で 四角の柄がありますが、表が光沢のある生地で、裏は光沢がありません。柄はその逆になっています。
綸子の織り方はいつきた?
織物は平織からはじまったと思います。一番単純な織り方だからです。奈良時代は遣隋使、平安時代は遣唐使によってさまざまな大陸の文化を学びましたが、唐の政情不安などの理由で遣唐使が廃止され、その後100年ぐらいは日本独自の文化が発展します。その後、南宋貿易がはじまり、鎌倉時代に金襴、緞子、綸子の織物が輸入されたということです。綸子はどこで生まれたかわからないそうですが、中国の元の時代の書物に緞子の名称が認められるそうです。
平安時代に公家達が着た装束の現物はほとんど残っていないのだそうです。織物は傷みやすく保存が難しいからです。さまざまな書物から織物の記述があり、室町時代の名物裂類などから織り方などを推測、復元したりします。平安時代に公家が使った織物を有職織物といい、その柄を有職文様といいます。この有職織物は 平織 綾織 もじり織からできていて、朱子織はないのだそうです。鎌倉時代に綸子の織物が輸入されたことの証拠にもなります。
着物の織物の名称で ちりめん、羽二重、綸子、お召、紬、絽、紗 をよく聞くと思います。糸の種類、織り方、染色の方法など複数の面から名称がつけられます。ちりめん糸を使っていればどんな織り方でもちりめんと呼ぶことができます。平綸子が破れ斜文織を用いて織った場合の名称ですが、ほかの斜文織で織り、ちりめん糸を使っていない場合の名称がないということになります。織り方というのは無限にできますが、商品化されているのはほんの一部です。ちりめんや羽二重といった大きなくくりの織物の名称は増えないと思いますが、製造するお店が商標登録したり、独自の名称をつければそれだけで多くの織物の名称ができます。
緞子と綸子の違い
緞子 地を五枚経朱子織、その裏組織の緯朱子織で文様をあらわす。
- 一重緞子
- 経糸 緯糸 同色の糸で組み組織の違いだけで模様を表現する
- 二重緞子
- 経糸 緯糸、又は経糸に二色以上の糸を用いて模様を表現する。
緞子帯、緞子裏という織物もあります。これになると織り方が必ずしも地が五枚経朱子織というわけではない。綸子の方が織り方の種類はあると思いますが、見ただけで 綸子か緞子かはほとんどの人がわかりません。
白生地の端
この白生地は麻の葉模様になっています。生地の端を見ると 「登録 瑞江織 どんす 銀せかい」 と織り込まれています。 はんこで 絹100 丹後ちりめん というのがわかります。一般的に どんすちりめんとはいいません。産地だけをとって、丹後ちりめんと説明します。この生地はまだ 染色していませんので染色方法で特徴ある方法であれば、そちらの名称が主に使われる場合もあります。瑞江織で他の模様の物もあります。
花嫁人形は 「
金襴緞子の帯しめながら、花嫁御料はなぜ泣くのだろ
」という歌詞ではじまります。金襴は紙に漆で金箔を接着して糸にしたもので織るということですので、どんな模様かわかりませんが金がはいった豪華な帯で、織り方法は朱子織ということになります。


