歴史編10 木綿

木綿の栽培について

結綿日本に棉の木はありませんでした。木綿が栽培されるようになったのは江戸時代中期で広く使われるようになったのは江戸時代の後期であるというのが日本史で習ったことでした。しかし図書館などで調べたり江戸時代のお触れを見ていますと江戸初期には木綿の栽培は行われていたと思われます。棉に関する一番古い記述は延暦18年(799)にインド人が三河国に漂着して 日本に最初に木綿らしき物を伝えたとありますが、栽培するまでには至りませんでしたので真偽はわかりません。その後も 綿種は伝えられますがいずれも栽培に成功しなかったようです。
時は過ぎ 応仁2年(1468)に輸入木綿をあつかう布座、小物座が専売権を争います。一年前におきた 応仁の乱が1477年まで続く為に 頓挫してしまいます。 大永1年(1521年)に薩摩から棉作がはじまり 西に広がります。大永6年(1526年)には河内木綿の生産が行われています。その後は南蛮貿易がさかんになってポルトガルから種を買ったり中国から買ったりしていますが、 必ずしも日本の土地に根ずくとはかぎらなかったようです。
安土桃山時代になり豊臣秀吉が李朝に出兵します。 1592年文禄の役 1597年慶長の役で大陸に渡った兵士が棉種を持ち帰ったりもします。1596年 農学全書には棉作が定着したとの記述もあります。
江戸時代に入って「1628年寛永5年2月9日には幕府が百姓の衣服は布 木綿に 名主及び百姓の妻女は紬まで それ以上の贅沢は許さず」というお触れがでます。布というのは麻のことをさします。紬とは屑繭を使って作った絹織物のことです。 絹糸で作っているのですが上等品とはみなされませんでした。 紬はあくまでもおしゃれ着で正装ではないとされる由縁はここからきています。 幕府がお触れをだすくらいなので木綿を輸入していたのでは高価なものになってしまします。従って江戸の初期には 北九州と畿内で木綿の栽培は定着していたと思われます。東日本にまで普及するには江戸中期ごろまでかかったということではないでしょうか。棉の木は暖かい所を好む植物で福島県以北では栽培できません。また東北地方では木綿を着ることが許されていませんでした。従って東北地方では木綿は高級品でした。真岡地方で木綿が栽培されるのは享保のころで最もさかんに栽培されるのは文化文政の頃だそうです。

足袋について

文字 綿現在の足袋は木綿で作られています、木綿のない時代は何で作っていたのでしょうか?答えは皮です。 鹿の皮で作られていたそうです。宇治拾遺物語には猿皮で作った事が書いてあるそうですが主に鹿の皮で作られ 鹿の皮ひもで足首をくくっていました。鎌倉時代 足袋は武家では決まりがあって 50才以上、病人は許可制でした。素足が基本だったということでしょう。 室町時代から江戸初期 女性は 鹿皮を紫色に染めた「紫たび」が流行し男性は白色だそうです。皮製の足袋が木綿に変わるのは江戸に大惨事があったからです。 1657年 「明暦の大火」がおこります。この大火は江戸のほとんどを焼いてしまいます。これを境に 足袋の素材は木綿にうつります。天和(1681年~83年)ごろ 畝刺足袋が流行します。元禄ごろにはこはぜが考案されて 鶴 水牛 鹿 などの骨や角をつかっていましたが 安政ごろに真鍮になったようです。裕福になった人達用に絹の足袋も作られました。 「能」や「狂言」で黄色の足袋をはいているときがありますが、足袋が鹿の皮で作られていた名残だそうです。 「つまんで放る 春の皮足袋」という川柳があります。昔は今より涼しかったかもしれませんが 皮製のくつ下を履くようなものですから考えただけでもむれますね。


木綿と襦袢について

綿 南蛮風俗から肌着の襦袢が出来たといいましたが明暦の大火以後 最初は質より量でしたが 経済的に成功する商人たちが増えていきます。寛文には小袖に関するひな形本ができます。上方文化が一番栄えた元禄時代には豪華な小袖が作られます。 一方 幕府は 金 総かのこ 刺繍 などの制限を行います。 表がだめなら 見えない所というわけで 元禄末には もともと上半身だけの襦袢が対丈となり、長襦袢ができます。 長襦袢の下に肌襦袢を着るという現在の着方のはじまりです。長襦袢は絹で色や模様もさまざまなものが作られます。表が派手にできない分 裏側に移動しました。 全ての人が金持ちになったわけではありません。 長襦袢は 見える所だけを上等な布を使った仕立て方など さまざまな工夫がされました。ときには 5分長襦袢といって 現在は長襦袢の袖は長着からでないことになっていますが 長襦袢の袖の方を長く仕立てる事が流行した時期もありました。


木綿と職人風俗について

江戸時代 左官 大工 鳶 鋳掛屋 植木屋などの職人の服装は共通していました。元々は身分の高い武士が着ていた股引(絹製)が天明(1781)のころに町人も着るようになり寛政(1789)のころに流行します。 天明(1784)には「印半纏」が現れます。素材は紺木綿を使っています。職人は股引,腹掛け,帯は3尺の手ぬぐい,麻草履,草鞋履き ご贔屓先から頂いた印半纏を盆や暮れに着て、時には重ねて着て数を自慢しました。ご贔屓先からお正月前にいただく慣わしがあったようです。

歴史編11 浮世絵から着物をみる

喜多川歌麿「二美人洗い張り
←喜多川歌麿 「二美人洗い張り」 生まれは1754?~1806ごろの人。向かって右の女性が洗い張りをしています。見えないでしょうけど 左手のすぐ横には端縫いしている部分が見えます。

 

 

葛飾北斎「春景二美人」
← 絵には北斎辰政画とかいています。葛飾北斎は1760年ごろに生まれた人で90歳ぐらいまで生きた人。号がいろいろかわります。
北斎辰政は30歳の後半から使ったようです。今はあまり見かけませんが屋根の上の物干し場で女性二人が洗い張りをしています。たぶんひらめが干してあり、子供は伸子張りの竹で遊んでいます。

針仕事喜多川歌麿 「針仕事」部分 本当の針仕事はあと二枚の絵があります。この女性は幼児の面倒を見ながら薄物の着物を縫っています。私には危なくてとてもそんな事はできません。他に針箱を持つ女性。二人の女性で反物を持って畳んでいるのか、長さを測っているかわかりませんがそのような女性が二人。まだ前髪があり肩揚げをしている男の子が鏡を持って猫に見せているんです。猫は自分の姿とわからなくて威嚇しています。そんな猫をみて楽しんでいる。これがない部分の絵です。衣裳の柄などみていると絞りだし とにかく 浮世絵を見ているとほんとにこの柄の衣裳を着ていたのか?と思うぐらい洋服にはないものです。

葛飾北斎「大原女」 部分
葛飾北斎「大原女」部分 大原女とは京都の大原で柴や薪を頭の上にのせて行商する女性をいいます。観光でこの姿を体験できます。体験しなくてもわかりますが、この女性の荷量はただものではありません。とても現代の日本人には無理です。小さい頃からこの荷の運び方で生きていかないと首を痛めてしまうでしょう。大原女といえば可愛らしい女性のイメージがありますが、この女性は大人で色っぽい!。浮世絵の女性は衿元が開いている時が多く、見る人へのサービスなのか?と思います。衣裳も迫力があるんです。これを見てから、観光で着る衣裳が見劣りするなぁと思ってしまいます。紺の手甲、白の脚半、藍染めの木綿の着物などなど

歌川豊国 三代目中村歌右衛門
歌川豊国 三代目中村歌右衛門
六代目中村歌右衛門丈が亡くなられてから、2008年11月現在 七代目はいません。たぶんお継ぎになるのはあの歌舞伎役者さんとおもいます。
さて 衣裳の説明ですが、成駒屋さんの紋である、祇園守のはいった黒の着物、裏は紺色でふきも大きいです。黒の無地ではなく白い小さな模様があります。長襦袢は紅色で黒の半衿。三枚襲ねにしています。
襲ねの中着や下着の方が細かい柄があり、立て涌の中に模様があり、その上にもう一つ柄がある。いい加減ですすが、はっきりとは見えないのでとにかく細かい柄が描いてあります。帯は麻の葉模様で前結びをしているのです。
歌舞伎演目に『助六』というのがあります。助六の衣裳は当時の人気の服装からきているのだそうです。

織物編地図

着物は蚕の賜物


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