花緒の歴史

 

草履と下駄

  1. 草履は藺草や竹の皮から作られ,、台も花緒も同じ素材で作られていました。
  2. 花緒を別の素材でつくるようになり、台と花緒を区別して呼ぶようになった。
  3. 雪踏は利休が作ったとも言われるように桃山時代にできました。草履の底に革をはりました。草履は水に弱いという欠点がありました。
  4. 江戸時代になって武士より町人がお金持ちになった最初の時期である元禄文化が花盛りになると豪華な着物が作られて、当然履物にも変化おきます。
  5. 裂地や天鵞絨で花緒を作りました。
  6. 元禄のころから下駄に人気がでます。
  7. 江戸時代は幕府の奢侈禁止とそうでもない時代の繰り返しです。取締りが厳しくない時には塗の下駄、蒔絵の下駄 高価な木材でつくった下駄などが作られます。
  8. 現在では草履の底の革は開け閉めができ、花緒を簡単に挿げ替えることができますが、技術のない時代は底の部分を切ることができません。台に花緒を挿げてから底をつけました。台の横に花緒をとめたりしていました。下駄の方が簡単に花緒の交換ができた事が人気の理由の一つかもしれません。
  9. たぶん明治以降、コルクが日本に入ってきました。これにより草履が大きく様変わりします。天の下の台にコルクをつけたのです。
  10. 現在 革の草履は当たり前ですが、このコルクに革を接着するということができるようになって初めて今の草履の形になります。
  11. 革をコルクに接着する草履ができたのは1934年ごろ昭和9年 東京が最初ということです。
たたみの台の草履たたみの台の草履
たたみの台ですが 足が乗る所は革畳の台 足のさわるところは革
革の草履革の草履

履物の型

台を上から見たところ
小判型、基本型、舟型があります。基本型は洋装が取り入れられるにつれて 従来よりもスリムな型の方が洋装にもあうのではないかと考え、作りだされたもののようです。着物を普段着にしていた時代は 小判型だったようです。確かに見た目は太いけど この方が歩きやすいです。基本型というより細巾型という方がいいのではないでしょうか。基本型に太い花緒はバランスが悪いです。花緒に慣れていない人は太めの花緒を選択すると自然に小判型の草履となります。
台を横から見たところ
舟型と小判、基本型の違いは上からではなく、横から見た方がわかります。実はこの舟型は草履ではなく下駄です。桜の木がはりつけてあります。足巾の広い者ですので、小判型が売られるようになってからは 基本型は買いません。舟型も基本型の巾で舟型になっているのが多くて、舟型は持っていませんでした。この下駄は 前と後ろの巾が変わりません。それで一度買ってみようと思いました。
台の高さは後ろ側を見ます。舟型の方が前が高くなります。背の低い人は舟型の方がちょっぴり 背が高くなった感じがします。

最近は この三つの形以外に台の型が作りだされています。側面がくびれていたりするのです。洋服でも履けるような下駄を考えているのだと思います。浴衣を着て、サンダルを履く人が多く見られます。これは花緒ずれがおきる為です。無理して下駄を履き、歩けなくなるよりはいいですが、下駄に近いようなサンダルにしてほしい気がします。花緒ずれがおきるかぎりは 下駄を履く人が増えるとは思えません。足にあうように花緒をすげてもらえばいいのですが・・・。


礼装用の履物

  1. 現在 履物屋さんに聞いても絶対これが第一礼装の草履といったようなものはありません。
  2. 本などには慶事では佐賀錦を使ったものが礼装の一番手になっています。つまり布製の花緒が礼装では格が上です。
  3. 弔辞に殺生に通じるものをさけるという慣わしがあります。法事などのお料理にはおさしみのような生ものを出しません。
  4. この考えから獣の革などはよろしくないということになり、喪服の草履は布地が主に使われているのです。
  5. 布はあまり丈夫ではありません。エナメル加工ができるようになり、革の表面がつるつるで光沢のある仕上げとなり、礼装にOKという時代になりました。
  6. 縁起を担ぐということはよくします。草履の場合 台の部分を偶数台にしないで奇数にする。これは結婚祝いの4万円をさけるのと同じ発想です。2万円がOKなのは、縁起より現実重視、草履の時は台が二枚にならない方がいいという人もいます。
  7. 礼装で着物を着る時は後の裾が踵ぎりぎりにします。このため あまり低い草履は裾を汚すことも考えられますので、台を高めの物にするのは一理あります。
  8. 下駄の中では塗下駄の方が格が上。昔は冬場は黒、夏場は白の塗りなど下駄にもいろいろあったようです。個人的には下駄が草履に劣るという気はしません。残念ながら草履に劣らないような下駄を探すのは難しいです。

履物編を掲載するにあたって参考にした本のリスト

書名 著者 出版
はきもの変遷史 今西卯蔵 日本履物変遷史刊行会
近世日本履物史の研究 石元明 雄山閣
雪踏をめぐる人々 近世はきもの風俗史 畑中敏之 かもがわ出版
足とはきもの 三浦豊彦 労働科学叢書
明治 大正 昭和 大阪鼻緒變遷史 大阪鼻緒変遷史刊行会
主婦の友 90年の知恵 田中敦子 主婦の友社

花緒の歴史

  1. 花緒の基本はねじりです。草鞋と同じように藺草などを拠って花緒にしていました。現在は捻り花緒も細工物の中に入ります。
  2. 素材が革や布地を使うようになってさまざまなか型ができます。
  3. 白革の花緒は桃山時代ごろから、 江戸時代になると高価なので武士や医者など限られた人が使っていました。
  4. 革は水に強いことから魚屋さんのような水場の仕事の人に好まれ 徐々に革製の花緒も人気になっていきます。
  5. 革や布の花緒はクケで作られていました。縫ってから裏返すという事が難しいからです。くけの技術は相当なものでほんとに細かく絎けていました。
  6. 文明開化により、ミシンが来てからは安い花緒はミシンで縫うようになり、外国から布をひっくりかえす道具がはいり、くけない方法に移行するのです。
  7. 天鵞絨は普通に縫って裏返すと裏返す時に生地がほつれてしまいます。糊を考案して裏返す時にほつれないようにできたのは昭和にはいってからのことで 本天は長らく絎けています。
  8. このようにミシンやかえす道具により 簡単な花緒は高等技術がなくても作れるようになりました。戦争中は高価な素材の花緒が禁止されたりもします。
  9. 細工花緒というのは時に高価な生地を少しだけ使う為に考案された型もあります。
  10. 素材によってはひっくりかえせない時もあり 『折』とか『ハリ』という作り方もあります。折は縫わないわけではありませんが、ひっくりかえさない方法です。ハリは貼り付けているということだそうです。

履物を買った後

下駄の修理

古い下駄の裏側前坪の裏側の『前がね』はよく取れます。だいたい 失った時はわかりません。気が付いたら取れています。写真の下駄は歯にゴムはついていません。右近などのゴムつきの下駄では踵の部分のゴムの交換を完璧に磨り減る前にします。その他の交換は多分難しいのではきつぶせばいいのです。もともとゴムのついていない下駄は磨り減るまで履くのです。

花緒の交換

長く履いていると花緒の裏側が擦り切れてきます。ぼろぼろになる前に交換する方が賢しこいです。花緒を拡大した図では下半分の生地が擦り切れているのがわかります。右側の赤白黒の花緒は交換したものです。
下の写真は向かって 左の下駄と草履は異なる花緒が挿げていましたが、花緒がなれない、傷んできたという理由で花緒を交換しました。新しい花緒の上の部分は同じ生地ですが、ハナオ下の部分を異なる色で作りました。下駄と草履でも違いますが、このように同じ生地でもいろいろな花緒を楽しむことができます。

三笠の花緒がぼろぼろ
花緒の交換
印伝がはげる
ほかの生地で花緒を作って交換

足技

足技

真ん中の足は普通の状態。趾に力をいれると趾が曲がります。周りの四枚の写真は角度を変えて撮っています。現代人は趾力がないといわれます。こんなふうにできないにしても グー チョキ パーぐらいはできなくては・・・。草履や下駄を履けば自然に足に力がはいるようになります。

畳表に花緒をすげる時

すげるのを失敗したたたみの台
畳表に花緒を挿げる時は、畳の糸を削ったりしないで、糸を押し広げて花緒を入れます。写真は削るという大胆な方法を行い、加えてコルクの部分まで割るという大失敗の畳草履です。草履職人といっても革草履専門の人などいろいろです。挿げる技術もいろいろです。最初に挿げてもらう時は専門家に任せましょう。履いているうちに前坪が伸びたら自分でなおすことはできます。後緒はちょっと難しいけどやれないことはありません。

草履を長持ちさせるには

草履を履くことです。 これは本皮も合皮も同じです。履かずに箱の中にしまったままだと 皮の表面の加工とその下の層に空気が入り それが原因で皮が割れてきます。中に空気がはいらないようにするのに 一番良いことは 履いて体重をかけます。すると空気がはいらない あるいはぬけていく それで 長持ちするのです。安価な本革と高価な合皮の草履とを比べるのは難しいですが、合皮はどんどん履く方がいいです。芯に使っているコルクが安物だとすぐに悪くなります。

なぜ前緒は台の中央にあるのか?

答えを参考にさせていただいた本というか正解を導いた本

前緒は台の中央の位置になる

『ひ弱になる日本人の足』 近藤四郎著 草思社 になぜそうなったのかが掲載しています。それが大きな理由であるとの見解です。そのまま本文を抜粋させていただくと
草履や足半を作るとき、足ゆびに芯縄をかけて藁を編み込んでゆくので、当然、前鼻緒が台の真ん中にくる。この製法と関連があるとおもう」といわれた。 ということなのです。この本は足の骨格とか筋肉、歩き方、進化のお話などが掲載されています。歩くという行為を大切にしましょうとということです。1993年に初版がでています。よろしければお買い物求めください。定価は1400円です。私は残念ながら足半やわらじを作った事がないのでもうひとつ理解する事ができませんでした。現在 布をつかって足半をつくる方法、わらじなどの作り方がホームページに掲載されています。市販の本なども参考に前緒の位置と作り方について考察いたしました。
よくいわれる説は左右を交換ができるからということですが、その方が説明が簡単でわかりやすくて広まったと思います。


足半とわらじの前緒の位置

草履を履くとき 足の趾はでていた

足半というのは足に力がはいるので昔から農業を営んでいる人は足半を使っていました。台の大きさが足の半分しかない所からこの名前がついたと思います。今でも足半を使って農業をしている人がいるかもしれません。昭和のはじめは普通に使っていたと思われます。また 戦国時代の兵士も使っていた履物です。昔は旅にいくならわらじをはきました。旅以外でもちょっと距離を歩くならばわらじを履いたと思います。江戸時代には農民は女は機織、男はわらじつくりをするようにお触れがでていました。街道の茶店にはかならずわらじが売っていました。飛脚はわらじが傷んだらすぐに穿き変えることができました。足半とわらじの共通点は前緒が台の真ん中でしかも先についています。つまり足の趾は台からはでて、地面につくわけです。頑丈な靴に守られている現代人にはわかりにくいですが、これが力の入る理由です。

足半やわらじの作り方のポイント

おおざっぱに 説明すると 芯縄を輪にくくって 輪をつくります。
そこに編む方の藁を横に通していき、最後に芯縄をひっぱります。それが台の真ん中にあってそれから前緒を作ったり、別布で前緒をつくってそこにつけたりします。図で説明するとこんな感じです。

わらじの作り方説明 そのⅠ
草履は前緒の位置は真ん中ですが、中にはいったところになります。そうしないと足の趾がでちゃう。その場合は以下のような感じにする。
草鞋の作り方 その2
昔の下駄は母趾によった位置に前緒があったのに、江戸時代は真ん中になるそうで、個人的に作ったものでは母趾の方によっているものあるとのことです。足半やわらじの前緒の位置が真ん中で、下駄や草履もその位置になったということなのでしょう。芯縄をわざと偏ったように編んでいけるかどうかということになるとたぶん難しいことなのでしょう。挑戦するほど時間の余裕がありません。
前緒は台を編んでいく途中でいれる方法もあるみたいですが芯縄を役立てる方法が上記の方法です。異国の方には前緒の位置が真ん中なのが不思議で質問もあるようですが こういうことなのだそうです。そういうことよりも足にあわない靴をはいて外反母趾になる事の方が怖いです。下駄や草履をみなおしてください!靴を履くのは毎日のことなのにデザイン重視の生活では気が付いたら歩けないような重症の外反母趾になります。わたしの感ではエステにお金をかける前に バランスよく食事し 歯みがきを丁寧に行って、足を鍛えて歩く、ついでに良く笑う、楽しいことを想像するこの方がいいのではと思います。