花緒の素材

革について

天然皮革 獣類 鹿 牛 馬
爬虫類 蛇 とかげ
人造皮革 塩化ビニールレザー 合成皮革 人工皮革

 

  1. 和革とは『鹿』『猿』『熊』の皮をさすのだそうです。花緒は鹿の皮がよく。和裁で使う指抜きも鹿の革です。
  2. 獣物の皮をはいで、これを使えるようにすることを大雑把に『鞣(なめす)』といいます。
  3. 皮は外側から上皮層 銀面層 網様層 肉面層となっている。これを銀面層と網様層だけにして使用します。古い参考書なので何とか層の名前が異なることを掲載しているサイトもあります。
  4. クロームなめし タンニンなめし 明礬なめし 油なめし このような種類があります。
  5. 最後に仕上げの加工があります。塗装、型押しなどの加工です。
  6. 銀面層を使用する事が多く、エナメル加工は銀面層にします。
  7. 網様層をこすって起毛させたのがスエードだそうです。
  8. 革には厚物と薄物があります。花緒に使用するのは薄物の方です。
  9. 本革の草履は牛革が多いということです。
  10. 蛇の皮は銀面層を使っています。その層に模様があるのでしょう。
  11. 高級なのは本印伝の花緒です。写真のは単なる印伝で5年ぐらいでしょうか。模様がはげてまいりました。本印伝はこのような事にはならないと聞いております。

印伝の花緒


天鵞絨 ビロードの歴史

天鵞絨
ビロード
三越本天 二越本天 輪奈天(罠天) 金華山
綿 別珍 コール天
化繊 ハイミロン
その他 佐賀錦 つづれ 小倉 友禅 羅紗 その他いろいろ
  1. 南蛮貿易で日本にはいってきました。
  2. 偶然オランダ船から輸入した物に鉄線が残っているのを見てようやく織り方がわかりました。
  3. 正保(1644年)には西陣でビロードが織られています。その後長浜でも製造されました。
  4. 入ってきたのは綿天鵞絨です。当時は木綿の国内生産もはじまっています。
  5. 天鵞絨の天鵞は白鳥の別名で白鳥の羽毛ににているところから名前がつきました。
  6. 天鵞絨が花緒にするのにとても良い生地だと日本人は考えました。
  7. 江戸時代に絹を使った天鵞絨の生産が始まりました。幕府が庇護したのです。
  8. 最終的には輸入品より優れた天鵞絨が生産されます。絹製だから高いのはあたりまえです。
  9. 服の生地でも天鵞絨はありますが花緒用の生地として別の名で呼ぶようになります。
  10. 天鵞絨の天の字をとって ○○天というようになったのです。
  11. 下駄や草履に慣れていない現代人が花緒ずれをできるだけ防ぐには、足の甲にあたる部分(ハナオシタ)と前坪は天鵞絨の方がいいです。
  12. 三越本天と一番やすい化繊のビロードの金額は3倍?という話を聞いたことがあります。

織物の天鵞絨(ビロード)

 

ビロード 天鵞絨

  • 本天は縦ビロードでパイルの部分を截っている生地です。
  • 三越本天の方が二越本天より高価です。
  • 輪奈天は縦ビロードですがパイルの部分を截たないで針金をぬいた生地になります。
  • 別珍は木綿で緯ビロード 緯糸でパイルを作ります。

ビロードの断面図

  1. 上の図のように織る時に針金を入れます。
  2. 輪奈天は針金を抜いて出来上がりです。
  3. 本天は針金の上で糸を截つのです。
  4. 截つ方法は二つあり 上からカッターで截方法と針金にカッターがついていて針金をのぞくと截てるという方法。現在は上から截つ方法をしている。この截つ仕事は大変な技術がいるそうです。
  5. 上の図は三越本天ではありません。三越は緯糸3回織った後にパイルタテを地組織から上げてそこに針金をいれます。もう少し複雑ですが描けないのですみません。

花緒は強さならば織物より革の方が強いです。洋靴を履いているとわかるように革にも寿命があります。靴の修理をしているご主人に聞いたのですが,革靴は履かないと底が割れたりする。高い靴だからと履かずに置いておくとかえっていけないそうです。革の草履も同じで履かずに置いておくと革が割れたりします。

 

花緒の名前

花緒の名称はお店によって違います。JIS規格のように全国共通にはなっていません。

昭和三十年十二月現在の大阪製花緒の名称
普通の花緒
丸物 坪通し 高原 先違丸
水引丸 根細丸
細工物の花緒
放レ二石 四石 ハス刷込 二本レール
放レ三石 五石 オサエ二石 三本レール
ねじ 水引 三つ編み 別珍二石
片捻 丹頂 三つ編み裏別珍 耳付放レ二石
むすび 片ハス 矢羽根レール三石 三石片編み
渡り捻 ヨーヨー 三ツ編み親子 文化折
三ツねじ 蟹ねじ レール入ねじ 放レ式二石
三ツねじ片三石 鍜ねじ 新三石文化 夫婦二石
内外レール(両国) ねじハサミ二石 親子二石
額二石 松葉 レール入放レ三石 羽衣二石
むすび親子 半月 折式耳付き二石 三階二石
ねじ親子 三笠 ペンテックス描絵 重平打
先違ひ二石 大星 外レール二石 寿立レール二石
三石式二石 四つ折 中レール二石 切ツギ
四ツ編 ハス裁ち 内レール二石 ※※※
明治 大正 昭和 大阪鼻緒變遷史 より
  1. 花緒の名前をどれだけ知っていますか?
  2. 大阪だけでも昭和30年これだけの花緒があったのです。
  3. おおよその形はわかるのですが 全く想像できない名前もあります。
  4. ネットで花緒が売られていますが、花緒の名前を丁寧に掲載しているお店は少ないです。売っているお店が無頓着なのか?名前を知らないのか?
  5. 昔は 需要があるし花緒職人さんが腕を競うので、多くの花緒ができあがりました。現在では手間のかかる花緒は敬遠され、作れる人がいない花緒もあるようです。
  6. 60種類ほどの花緒の名前が掲載されています。下駄を一つ買っても、下駄の台が履けなくなるまで何種類もの花緒を楽しむことができます。こんなに環境にやさしい履物が身近にあるのです。しかも健康にもいとよろし

 ハナオ上 ハナオ下

花緒の断面図

  1. 青の部分をハナオ下 赤の部分をハナオ上といいます。
  2. 花緒は厚みはいろいろですが 緑と黄色の部分があります。
  3. 緑や黄色の部分をハナオ上と同じ生地を使ったり、ハナオ下の生地で緑や黄色の部分を作ったりすることでさまざまな花緒ができます。

 小倉花緒

男物の下駄
明治初期から30年ごろまで、安くて丈夫で流行した花緒。小倉織という木綿で作られる。縦糸が通常の木綿の生地より密で、大変丈夫。中太から太い花緒。小倉織は袴や帯地に使われていたが、名古屋の業者が花緒として世に広めた。大阪ではあまり作られていなかったようです。ネットで見ていると黒か白の綿入りの花緒にその名がでています。流行当時は、柄入りもあったようです。写真の真偽は不明です。

高原 裏付き

花緒の名前 高原江戸時代からあった花緒。布地で作る花緒。 花緒の上や両側が同じ生地。
足の甲にあたる部分は別生地。 綿入れ、細くなると高原とはいわない。履いた時、上から見ると柄の部分しか見えません。 ハナオ上 ハナオ下の図からは 赤 緑 黄色の部分が模様のある生地 。青は黒色の天鵞絨で作っています。 前坪はハナオ下と同じ生地。
高原の見本

花緒の名前 額
ハナオ上がハナオ下にはさまれて 額にはいっているような形になっている。上から見ると両側が同じ生地。額は細工物とはいわない。
額の見本

のぞき

花緒の名前 のぞき
花緒を上から見るとハナオ下の生地が内側に見えている。これを『内のぞき』という、通常 外のぞきはあまりよく見えないのでのぞきといえば内側の方になる。この縫い方で両側にハナオ下の生地が見えているものもあります。比べると違いがわかります。両側にハナオ下が見えていると額というのかもしれません。
花緒の名前 のぞき

女物の革の花緒のよくある形

よくある 花緒 名前はよくわからない平で花緒を上から見るとハナオ下の生地が細く両側に見える。綿なし
革の花緒

三笠 みかさ

三笠花緒平で上から見るとハナオ下の生地が両側に見える。綿なし。上の花緒と似ているがハナオ下に縫い目が見える。三笠は手間がかかる。縫い目が甲にあたりそれを嫌う人もいる。
三笠花緒の裏側

丹頂

丹頂
ツルの丹頂から名をとった。写真の草履は前坪が赤、横緒が白、台は黒。ほんとに丹頂と同じは配色です。これが転じて前坪が赤く、その他が違う色ならば丹頂と呼んでいるかもしれません。
横緒はハナオ上が革 ハナオ下が輪奈天になっています。平たいので足には沿います。巾が太めなので履きやすいと思います。

放レ二石

放れ二石

大阪のメーカー「株式会社 山菱」というお店で買い求めた ””放レ二石””です。台に挿げる前です。出来上がったら前緒と後緒をそれぞれ括って 前緒の部分に紙をはります。そこに作ったお店の名前がかいてあります。

放れ二石 上から見た

上から見るとこのような事になります。前坪は輪奈天 横緒は上が牛革 下が輪奈天です。素材の違う横緒を二本 重ねています。これが三本になると 放レ三石になります。

下駄にすげたところ

 

今回は下駄に挿げてみました。
花緒の芯には麻が使われています。上等です。
挿げてくれた人に教えていただきましたが、麻はしっかり締められるのでゆるみにくいのだそうです。雨にぬれると台の底から水がはいり、麻の芯縄がきれてしまうこともあります。これは 芯縄が切れるまえに白の花緒が汚れるのではないかと思います。白は汚れがめだつ~。挿げ士も「上等や!」と褒めてくれましたが、たぶん仕事がしやすいからうれしいのではないでしょうか?

上から見るとこのような感じです。ところで白の花緒といえばお坊さんです。台が平凡だとほんとにお坊さんの履物になってしまいます。これでもお坊さんの履物に見えるかもしれませんが・・・・ 挿げる料金はそんなに髙い料金ではありません。今までの経験では200円から300円ぐらいです。お店によっては挿げ士が常駐されているわけではありません。履物屋さんというのは 台と花緒は別々に仕入れて 挿げ士の方にやってもらうというのが一番多いです。

放れ二石は 花緒ずれがおきやすく 素足で履く場合は よっぽど なれた人じゃないと困ります。

花緒の歴史

 

草履と下駄

  1. 草履は藺草や竹の皮から作られ,、台も花緒も同じ素材で作られていました。
  2. 花緒を別の素材でつくるようになり、台と花緒を区別して呼ぶようになった。
  3. 雪踏は利休が作ったとも言われるように桃山時代にできました。草履の底に革をはりました。草履は水に弱いという欠点がありました。
  4. 江戸時代になって武士より町人がお金持ちになった最初の時期である元禄文化が花盛りになると豪華な着物が作られて、当然履物にも変化おきます。
  5. 裂地や天鵞絨で花緒を作りました。
  6. 元禄のころから下駄に人気がでます。
  7. 江戸時代は幕府の奢侈禁止とそうでもない時代の繰り返しです。取締りが厳しくない時には塗の下駄、蒔絵の下駄 高価な木材でつくった下駄などが作られます。
  8. 現在では草履の底の革は開け閉めができ、花緒を簡単に挿げ替えることができますが、技術のない時代は底の部分を切ることができません。台に花緒を挿げてから底をつけました。台の横に花緒をとめたりしていました。下駄の方が簡単に花緒の交換ができた事が人気の理由の一つかもしれません。
  9. たぶん明治以降、コルクが日本に入ってきました。これにより草履が大きく様変わりします。天の下の台にコルクをつけたのです。
  10. 現在 革の草履は当たり前ですが、このコルクに革を接着するということができるようになって初めて今の草履の形になります。
  11. 革をコルクに接着する草履ができたのは1934年ごろ昭和9年 東京が最初ということです。
たたみの台の草履たたみの台の草履
たたみの台ですが 足が乗る所は革畳の台 足のさわるところは革
革の草履革の草履

履物の型

台を上から見たところ
小判型、基本型、舟型があります。基本型は洋装が取り入れられるにつれて 従来よりもスリムな型の方が洋装にもあうのではないかと考え、作りだされたもののようです。着物を普段着にしていた時代は 小判型だったようです。確かに見た目は太いけど この方が歩きやすいです。基本型というより細巾型という方がいいのではないでしょうか。基本型に太い花緒はバランスが悪いです。花緒に慣れていない人は太めの花緒を選択すると自然に小判型の草履となります。
台を横から見たところ
舟型と小判、基本型の違いは上からではなく、横から見た方がわかります。実はこの舟型は草履ではなく下駄です。桜の木がはりつけてあります。足巾の広い者ですので、小判型が売られるようになってからは 基本型は買いません。舟型も基本型の巾で舟型になっているのが多くて、舟型は持っていませんでした。この下駄は 前と後ろの巾が変わりません。それで一度買ってみようと思いました。
台の高さは後ろ側を見ます。舟型の方が前が高くなります。背の低い人は舟型の方がちょっぴり 背が高くなった感じがします。

最近は この三つの形以外に台の型が作りだされています。側面がくびれていたりするのです。洋服でも履けるような下駄を考えているのだと思います。浴衣を着て、サンダルを履く人が多く見られます。これは花緒ずれがおきる為です。無理して下駄を履き、歩けなくなるよりはいいですが、下駄に近いようなサンダルにしてほしい気がします。花緒ずれがおきるかぎりは 下駄を履く人が増えるとは思えません。足にあうように花緒をすげてもらえばいいのですが・・・。


礼装用の履物

  1. 現在 履物屋さんに聞いても絶対これが第一礼装の草履といったようなものはありません。
  2. 本などには慶事では佐賀錦を使ったものが礼装の一番手になっています。つまり布製の花緒が礼装では格が上です。
  3. 弔辞に殺生に通じるものをさけるという慣わしがあります。法事などのお料理にはおさしみのような生ものを出しません。
  4. この考えから獣の革などはよろしくないということになり、喪服の草履は布地が主に使われているのです。
  5. 布はあまり丈夫ではありません。エナメル加工ができるようになり、革の表面がつるつるで光沢のある仕上げとなり、礼装にOKという時代になりました。
  6. 縁起を担ぐということはよくします。草履の場合 台の部分を偶数台にしないで奇数にする。これは結婚祝いの4万円をさけるのと同じ発想です。2万円がOKなのは、縁起より現実重視、草履の時は台が二枚にならない方がいいという人もいます。
  7. 礼装で着物を着る時は後の裾が踵ぎりぎりにします。このため あまり低い草履は裾を汚すことも考えられますので、台を高めの物にするのは一理あります。
  8. 下駄の中では塗下駄の方が格が上。昔は冬場は黒、夏場は白の塗りなど下駄にもいろいろあったようです。個人的には下駄が草履に劣るという気はしません。残念ながら草履に劣らないような下駄を探すのは難しいです。

履物編を掲載するにあたって参考にした本のリスト

書名 著者 出版
はきもの変遷史 今西卯蔵 日本履物変遷史刊行会
近世日本履物史の研究 石元明 雄山閣
雪踏をめぐる人々 近世はきもの風俗史 畑中敏之 かもがわ出版
足とはきもの 三浦豊彦 労働科学叢書
明治 大正 昭和 大阪鼻緒變遷史 大阪鼻緒変遷史刊行会
主婦の友 90年の知恵 田中敦子 主婦の友社

花緒の歴史

  1. 花緒の基本はねじりです。草鞋と同じように藺草などを拠って花緒にしていました。現在は捻り花緒も細工物の中に入ります。
  2. 素材が革や布地を使うようになってさまざまなか型ができます。
  3. 白革の花緒は桃山時代ごろから、 江戸時代になると高価なので武士や医者など限られた人が使っていました。
  4. 革は水に強いことから魚屋さんのような水場の仕事の人に好まれ 徐々に革製の花緒も人気になっていきます。
  5. 革や布の花緒はクケで作られていました。縫ってから裏返すという事が難しいからです。くけの技術は相当なものでほんとに細かく絎けていました。
  6. 文明開化により、ミシンが来てからは安い花緒はミシンで縫うようになり、外国から布をひっくりかえす道具がはいり、くけない方法に移行するのです。
  7. 天鵞絨は普通に縫って裏返すと裏返す時に生地がほつれてしまいます。糊を考案して裏返す時にほつれないようにできたのは昭和にはいってからのことで 本天は長らく絎けています。
  8. このようにミシンやかえす道具により 簡単な花緒は高等技術がなくても作れるようになりました。戦争中は高価な素材の花緒が禁止されたりもします。
  9. 細工花緒というのは時に高価な生地を少しだけ使う為に考案された型もあります。
  10. 素材によってはひっくりかえせない時もあり 『折』とか『ハリ』という作り方もあります。折は縫わないわけではありませんが、ひっくりかえさない方法です。ハリは貼り付けているということだそうです。