女物の帯の種類
丸帯
現在はあまり用いられない。仕立て上がりの帯巾の倍強の巾で織る。それを半分に織って片方を縫って芯を入れて仕立てる。豪華で重いことから袋帯の方が用いられるようになった。仕立てる前の帯巾は68cmぐらいある。出来上がりは巾30~32cm、丈420cmぐらいです。室町時代は一枚の広幅の帯を六つ割や八つ割りにして帯に仕立てていましたが江戸時代になりどんどん女性の帯巾は広くなるにつれ帯地全部を使って仕立てられるようになり丸帯といわれるようになった。
昼夜帯
大正時代に名古屋帯が考案されるまで日常着用として用いられていた。別名 腹合わせ帯、中合わせ帯、鯨帯という。時代劇で町人の女性が締めている帯というとわかりやすいかもしれません。用布は巾34cm 丈4m~4m20cmの帯地二本。これを巾丈共に毛抜きあわせにしたてます。
ポイント柄の位置はお太鼓を結ぶ時と引き抜き結びとでは異なります。
いつ頃から登場したかは本によって異なります。天和年代(1681~)とか元禄年代(1688~)からなどがあります。白と黒を昼と夜にたとえてこの名があり、最初は黒天鵞絨と白綸子などの生地をあわせて絎けた帯でした。真偽はわかりませんが鯨のお腹が白くて背の方が黒いのでそこから鯨帯と呼んだようです。 後に黒白だけではなくいろいろな色や帯地で作られるようになります.
袋帯
本によって記述がちがいますが、歴史は浅く明治末期あるいは大正時代に丸帯の代用としてできた帯。もともとは袋状に織った帯のことでこれを「本袋帯」という。。表裏別布で両耳を縫い合わせている袋帯を「縫い袋帯(合わせ袋帯)」という。巾は30~32cm。丈は420cm強ですが最近はもっと長い帯もあります。昔の物は少し短いです。現在は本袋帯より縫い袋帯の方が多いです。 芯を入れて先を綴じる仕立てをします。時には反物のように両端を縫っていない袋帯もあります。この場合は「丈二帯打ち合わせ仕立て」などといって単なる芯入れの仕立てではすみません。4m20cmは1丈1尺ほどですが、この長さをおおよそ一丈と考えて表と裏あわせて丈二帯と名づけているみたいです。ずいぶん違うと思われるかもしれませんが着物独特の表現です。反物には三丈物とか四丈物といういい方があります。くわしくは基礎編9 着物地の種類と巾と丈をご覧下さい。
名古屋帯
腹夜帯の一本分の帯地で仕立てる帯。胴回りの部分を半分に折って仕立てるのが基本です。胴回りの部分を半分にしないで広げたままで仕立てる方法もあります。関西ではこのように仕立てることを東京仕立てと呼びます。大正7、8年ごろに名古屋女学校の創設者越原春子女史が考案した。名古屋帯のページをご覧ください
半巾帯 普段着用の帯。日常着物を着る人が少ないので浴衣を着る時に多く用いられる。近年は着物離れに歯止めをかける試みとして普段着というよりおしゃれ半巾帯が多く製造されています。化繊の半巾帯はゆるんできます。巾約16cm丈は長くなり350cmぐらいです。
文化帯
付け帯 胴に巻く部分と後の帯結びが別々になっている帯。大人用はお太鼓結びが多い。リクエストすれば他の帯結びも作れます。簡単で楽です。最近は二つにわけないタイプも考案されていますが綺麗に結べるのか疑問も残ります。
付け帯の表裏
付け帯は表地がタイシルク、裏地は銘仙です。必ずしも帯地じゃなくても帯にできます。この付け帯のお太鼓部分の差込み金具は一度反対に向けてから胴巻きに差し込みます。間違っているみたいに見えますがこれはこれでいいのです。帯編2の子供用の付け帯の金具は逆についています。
半巾帯
左からの二本は昔の物なので巾も狭く、丈も短いです。貝の口という帯結びにはこの程度の長さで十分です。左から三番目、水色の半巾帯は化繊です。私のデジカメでは化繊も絹も写り具合に差はありません。化繊の帯はゆるむので好きになれません。
羽織下帯
昭和40年代はじめごろまでは卒業式や入学式に母親が黒紋付の羽織を着て出席する姿はめずらしくはありませんでした。母親は時間をかけて着物を着る暇がありません。そこで羽織は絶対脱がないという前提で羽織下帯というのがありました。帯揚げも帯締めも使いません。写真の紐はとても細いですが、後で括るだけです。前に小さなファスナーがついていてハンカチぐらいなら入ります。金モールのような素材で模様が織り込んであり普段着というよりフォーマルな場所を意識した柄になっています。着物をよく着ていた時代にはこのような帯はめずらしくはなかったと思います。特注すればできると思いますが今は売っていないと思います。
本には半巾帯(羽織下帯)と説明している時があるのですが、この帯はほんとに羽織下帯です。母は省略して羽織下と呼んでいます。ところで羽織下という羽織の下に着る防寒着があります。実際に見た事はないのですが袖なしで作るそうです。