国連 194番目の国 

子どもの頃、第二次世界大戦中にユダヤ人が虐殺された歴史を、学校の授業やドキュメンタリー番組、映画などを通じて知りました。その悲劇は、心に深く刻まれ、「今後、二度とこのような経験をする民族があってはならない」と強く思いました。
それと同時に、私の中にはひとつの信頼のような感情が芽生えていました。ユダヤ人は、あのような苦しみを経験したからこそ、二度と他者に同じ苦しみを与えることはないだろう——そんなふうに、私は勝手に信じていたのです。
親が子どもにいじめを注意するとき、「自分がされたくないことは他人にしない」とよく言います。私はその言葉を、普遍的な倫理として受け止めてきました。けれど今、ユダヤ人にはその考えが通じないのだと痛感しています。
80年の時を経て、ユダヤ人は加害者にはならないという私の思いは、幻想だったと気づきました。イスラエルによるパレスチナへの攻撃の報道をきくたびに、かつての加害者と同じ構造が、今度は別の形で繰り返されているように思えてしまうのです。
私は、ユダヤ人という民族が「気の毒な存在」だと思っていました。けれど今は、その感情を持ち続けることができません。

ユダヤ人にイスラエルという国家を与えたことは、結果として大きな誤りだったのではないか——そう思わずにはいられません。もちろん、今さらその承認を取り消すことは現実的ではありません。だからこそ、イスラエルと対等な力を持つ存在として、パレスチナを正式な国家として承認することが、残された数少ない制度的な選択肢のひとつではないでしょうか。

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