歴史編9 毛織物

南天

日本の毛織物産業は?

羊毛毛織物の伝来は奈良時代にさかのぼるます。そこから月日が流れて南蛮貿易により輸入しているという記述になるのです。日本人はあまり毛織物には興味がなかったのかな?と思うのですが、貿易でしかなかったので大変高価な物でした。大きなことは国内で羊毛を取るための羊の飼育に成功しなかった。あるいはさせてもらえなかったのか?国内産の毛織物を作ろうとした人がようやくあらわれたのは江戸後期。徳川家斉が毛織物の製造を行うために寛政12年(1800)年 長崎出島にいるオランダ人技術者を招こうとしたり、文化8年(1811年)中国の緬羊を取り寄せ江戸の御殿で 羅紗 呉呂を織ろうとしたが失敗します。江戸時代の毛織物は結局 自給自足はできませんでした。現在ではウールの着物は絹に比べれば 安いです。
国内で毛織物を作れるようになったのは明治になってからです。国策でウールを作るために羊を輸入しました。官営の工場がいろいろと作られてあとに民に払い下げられたのです。主な目的は軍人の制服を作るためでした。国内で量産できれば当然安く作れるからです。明治時代は欧米に追いつけ追い越せが目標です。軍服は当時としてウールが一番よい素材だと思います。1877年(明治10年)に毛織物が機械製造されたということです。古い資料で学生時代ノートからの転載なので確実ではないけれど。余談ですが牛を飼って牛乳を生産することも明治時代になって行われましたがこれは失業した武士のために奨励された産業でもありました。廃藩置県でそれまででは考えられないほど多くの失業者がいました。武士の中には何をすればいいのかわからなかったわけです。
羅紗は厚地の毛織物で現在のフェルトに近いような質。高価なため室町時代の末ごろから輸入されていましたが織田信長などの戦国武将の長が着用できた生地ということです。江戸時代になればお殿様やお金持ちの商人が着用したとは思いますが、華美な服装が禁止されたりしますので持っていても着れないかもしれません。
唐縮緬という言葉がありますが 大正ごろまで使われていた言葉。モスリン、メリンスともいいます。日本ではモスリンは薄地の着物の生地を示す言葉になっています。外国では綿糸、絹糸、化繊で織られているモスリンもあるのでこのあたりがややこしいです。

羊の絵

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